見て見ぬふりを続けた30年の果てが
この国の本質なんていわれます。
・変化の兆しは見えていたのに、挑戦しなかった青年期
・適応できる力はあったのに、現状維持を選んだ中年期
・経験を活かせたはずなのに、過去のやり方に固執した老年期
結果として、「変わらないこと」を選び続けた結果、
経済の停滞や競争力の低下につながったともいえるのでしょうか?
全共闘世代が素晴らしいとはいわないけれど少なくとも、
この国の未来と理想を語る熱さは確かにあったのでしょうね。
三島由紀夫が、現在に生きていたらどんな小説を書いたのでしょうかね…
おそらく、かつての彼ならば、「守るべきものを持たない国」への怒りと、
「理想を語れない若者」への嘆きを、筆に込めたのではないでしょうか。
『金閣寺』の美の焦燥ではなく、『豊饒の海』の虚無感でもなく、
ただ、言葉を失うほどの停滞への嫌悪を、紙面に刻みつけたのかもしれません。
「かつてあったはずの“変革の炎”が、今はただ、ぬるま湯に沈むだけの灰になったのか?」
そんな問いを、彼はどこかで書いたでしょうかね。
『豊饒の海』第四巻(最終巻・天人五衰)のラストシーン、
「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った」
本多は月修寺を訪れ。門跡となった聡子と再会する。
そこには、彼の人生を貫いてきた「輪廻転生の証拠」、つまり転生した清顕の記憶があるはずだった。しかし、門跡となった聡子は、あっけらかんとこう言い放つ。
「そんなお方は、もともとあらしやらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるやうに思うてあらしやって、はじめから、どこにもをられなんだ、といふことではありませんか?」
清顕はそもそも存在しなかった——この言葉によって、本多の生涯にわたる探求は完全に崩れ去る。
そして彼が最後に目にするのが、「この庭には何もない」
という圧倒的な虚無の風景。
もし、三島が現代日本を見ていたなら、『天人五衰』のラストと同じ虚無を感じたかもしれない。
そして、「この国には何もない」 と言ったかもしれない。
しかし、同時に彼は「それでも人間は美しく生きられるのか?」という問いを投げかけたはずだ。
『豊饒の海』の結末は虚無で終わるが、その手前の「理想に生きた清顕」の存在が、
わずかな希望として残る。
三島が現代に生きていたなら、彼はもう一度こう問いかけるのではないか。
「この庭には何もない」——だが、あなたはどう生きるのか?
そう問われる気がする。
私は、『この国に絶望も悲観もしていないし、若者はいつの時代も素晴らしい』
そう答えると思う。

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