カントの哲学が教えてくれる「選択」と「後悔」
- 横山三樹生
- 3月24日
- 読了時間: 4分
最近のニュースを見ていると、社会のさまざまな出来事や問題に直面するたびに、
つい「自分ならどうするだろう?」と考えてしまうことが多くあります。
例えば、誰かが困難な状況に追い込まれた時、私だったらどのような判断を下し、
どのような行動を選ぶだろうかと、自問自答することがあるのではないでしょうか。
そうした場面は決して他人事ではなく、私たちの日常生活にも通じるものです。
私たちは日々、大小さまざまな「選択」を迫られています。仕事の中での判断、家族や
友人との関係、あるいは社会的な問題に対する意見の形成など、その選択の積み重ねが
私たちの生き方や価値観を形作っていると感じます。しかし、そうした選択に迷ったとき、何を基準に決断すればよいのか──その指針が欲しくなる瞬間があるかもしれません。
そんな時、200年以上前の哲学者イマヌエル・カントの考え方が、参考になるのではないかと思うのです。カントは「人間は理性に基づいて行動するべきであり、その行動が『普遍的な法則』として成立し得るかを基準にすべきだ」と説きました。これは「自分の行動が、他の誰もが同じ状況で行うべき行動だと胸を張って言えるか?」という視点に置き換えることができます。

カントの「普遍的なルール」という考え方
カントは「自分がやろうとしている行動が、みんながやっても問題ないか?」という
視点を大切にしました。これを定言命法(ていげんめいほう)といいます。
例えば、最近話題になったSNSでの誹謗中傷の問題。ある有名人が攻撃されたニュースがありましたが、これに便乗して「自分も言ってやろう」と行動する人がいました。カントの考えに当てはめれば、「もし全員が同じように批判したら、社会はどうなるのか?」と考えるべきです。
当然、そんな社会では誰もが安心して発言できなくなります。つまり、誹謗中傷は普遍的に正しい行動ではないという結論になります。
「善意志」とは何か?
カントはさらに、「他人に褒められたいからやる」や「怒られたくないからやる」と
いった行動は、真の「善」とは呼べないと言いました。カントが重視したのは、純粋な善意に基づいて行動することです。
この考えは、最近の災害時のボランティア活動に通じる部分があります。「誰かがやるだろう」と傍観するのではなく、「自分ができることをしよう」と考えて行動する人が増え、多くの被災者が救われました。これは、カントの言う「善意志」に近い行動です。
誰かに褒められたいわけではなく、「これが正しいから」という内なる思いで行動する。
そういった価値基準が大切だとカントは考えたのです。
「後悔」や「葛藤」は悪いことではない
カントの考えを知ると、「正しい選択」ができればそれが最良の答えのように感じます。しかし、私たち人間はそんなに割り切れません。
実際、どんなに考えて選んでも、「本当にこれで良かったのか?」と悩んだり、後悔したりすることはあります。けれど、カントはこうした葛藤や迷いを否定しません。それどころか、その悩みや葛藤こそが「次にもっと良い選択をするためのヒント」になると考えていました。
大切なのは、「選んだ後に、その行動にどう意味を持たせるか」です。どんな結果で
あれ、自分が選んだ道に「これが自分なりの最善だった」と納得できる意味を持たせることが、次の行動につながるのではないでしょうか。
カントの哲学は、単なる難しい理論ではなく、私たちが日々直面する「選択」の指針に
なり得る考え方です。何かの選択に迷ったとき、「みんながやっても問題ない行動か?」と立ち止まるだけでも、きっとより良い判断ができるはずです。
正しさだけでなく、「後悔や葛藤があるからこそ次の一歩を考えられる」そんなカントの言葉は、今を生きる私たちにとって、意外と頼りになるアドバイスかもしれません。
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