心理学的視点で考える ペール・ギュントを支えた愛⑤(最終回)
- 横山三樹生
- 4月7日
- 読了時間: 5分
本稿も今回で最終回となりました。最後は交流分析における
心理ゲーム・禁止令・ドライバーという視点で、今回のテーマを終えたいと思います。
なぜペールは同じ失敗を繰り返すのか?
『ペール・ギュント』の物語には、あるパターンの繰り返しが見られます。
・誰かと親密になろうとする
↓
・でも怖くなって逃げる
↓
・そして「やっぱり自分はダメだ」と落ち込む
これこそが、心理ゲームと呼ばれる無意識の対人パターンです。
前回に続いて、交流分析(TA)の視点から、ペールの心理ゲーム・禁止令・ドライバーの構造を整理していきたいと思います。
心理ゲームとは?
心理ゲームとは、表面的には普通のやりとりに見えても、その裏には否定的な感情と
再確認される脚本信念が潜んでいるやりとりのことです。
エリック・バーンは、人は無意識に「脚本を証明する」ためにゲームを仕掛けると
考えました。このゲームは『不快な感情をもたらすコミュニケーション』なのです。
ペールが繰り返すゲーム:「見捨てられた僕」
心理ゲームのパターン
① 愛を求めて他者(母、恋人、ソルヴェイグ)に近づく
(ペールが仕掛け人として、弱みのある相手にゲームを仕掛ける)
② でも親密さが深まると「本当の自分」がバレる気がして怖くなる
(相手の反応を試すために不快なコミュニケーションを行う)
③ 結果、自ら関係を壊す or 逃げる
(相手は困惑し、混乱する)
④ 「やっぱり誰も僕を本当には愛してくれない」と思い込む
(お互いが嫌な感情や悲しみを感じる結果に仕向ける)
このゲームの最終メッセージ(Payoff)=人生脚本の強化(再確認)
ほら…やっぱり… 「僕は結局、見捨てられる存在なんだ」
このように、ペールは自分のスクリプトを“再確認”するためのゲームを
他者に対して、無意識に仕掛けていたのです。
何のために、そんなことをするのか… ゲームの目的は、過去のトラウマや思い込み
価値観などによって、マイナスのストロークを手に入れるためといわれています。
このゲームは何度も、何度も繰り返されます。
ストロークは「心の栄養」といわれる他者との交流中で相手の存在を認める言動や
態度、表情などを通じて、「自分自身が承認されることで得られる自己肯定感」です。
人は誰もはOKであり、このストロークを得たいと願って生きています。しかし
このポジティブなストロークには、マイナス(影)のストロークが存在します。
ポジティブ(陽)のストロークは、ハグしあったり、笑顔で挨拶を交わしたりする
お互いの承認行動ですが、マイナス(影)のストロークは暴力や皮肉、無視や暴言など
お互いが傷つけあう「破壊行動(人権侵害)」なのですが、ポジティブなストロークが
欲しいはずなのに、得られないときに私たちはマイナスのストロークでもよいので
得ようとします。これをストローク飢餓と呼びます。
仕掛ける→相手が離れていく→孤立する→(マイナスのストロークを味わう)→
また他の人にゲームをしかける→ また相手が離れていく→ また孤立する
なにが、そうさせるのでしょうか?
ペールに影響を与えた「禁止令(Injunction)」
禁止令とは、幼少期に非言語的に受け取った「~するな」「~であるな」という否定的なメッセージのことです。ペールに見られる主な禁止令は以下の通りです
禁止令 | 内容 | 行動への影響 |
自分でいるな | ありのままの自分では愛されない | 空想・妄想で自分を脚色 |
親しくなるな | 親密になると傷つく | 関係が深まると逃げる |
成功するな | 成功すると罰がある | 自ら成功を壊す |
感じるな | 感情は危険なもの | 喜びも悲しみも遮断 |
これらの禁止令が、ペールの「逃避と崩壊のパターン」を形成していたのです。
この禁止令を私たちも無意識で活用し、お互いを傷つけてしまいます。
禁止令によって形成された「埋め合わせの努力」が、ドライバーといわれるものです。ペールに特に強く見られるドライバー(駆り立てられるもの)は以下の3つです。
ドライバー | 行動への表れ |
特別であれ | 英雄・預言者・王になろうとする妄想 |
急げ | 関係を築く前に次に行ってしまう |
努力しろ | 何かをし続けていないと落ち着かない(放浪・挑戦) |
これらのドライバーは、一見「頑張り」のように見えますが、実際は「認められたい」
「愛されたい」という承認飢餓の裏返しなのです。
ゲーム・禁止令・ドライバーの三位一体構造
① 幼少期に禁止令が内面化される(例:「自分でいるな」)
② それを打ち消すためにドライバーが働く(例:「特別であれ」)
③ しかし根本の信念は変わらず、繰り返し心理ゲームに陥る(例:「見捨てられた僕」)
このループの中で、ペールは人生を迷走していたと言えるでしょう。
ソルヴェイグとの再会がもたらした「再決定」
前回までに触れた通り、ラストでペールはソルヴェイグの腕の中に帰還します。
このとき、もし彼が次のような認知に達していたなら──
「自分でいても、愛されていい」
「親しくなっても、捨てられない」
「特別でなくても、価値がある」
それは、まさに交流分析における「再決定(Re-decision)」であり、人生脚本の描きなおし
なのだと思います。
ソルヴェイグとの再会は、ペール自身が、自らを許し、受け入れることで
長年の人生脚本・心理ゲーム・禁止令の連鎖を断ち切る「癒し」の瞬間だった可能性が
私はこの物語から感じるのです。
ペールは、自らの「無意識の脚本」によって苦しみ続けた人物でした。
でも、彼を変えたのは壮大な冒険でも成功でもなく、たったひとつの“無条件の愛”でした。
「ゲームを終わらせる」「脚本を書き換える」──
それは、現代の私たちにとってもとてもリアルなテーマです。

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