top of page

心理学的視点で考える ペール・ギュントを支えた愛⑤(最終回)

本稿も今回で最終回となりました。最後は交流分析における

心理ゲーム・禁止令・ドライバーという視点で、今回のテーマを終えたいと思います。


 

なぜペールは同じ失敗を繰り返すのか?


 『ペール・ギュント』の物語には、あるパターンの繰り返しが見られます。


 ・誰かと親密になろうとする

       ↓

 ・でも怖くなって逃げる

       ↓

 ・そして「やっぱり自分はダメだ」と落ち込む


  これこそが、心理ゲームと呼ばれる無意識の対人パターンです。


前回に続いて、交流分析(TA)の視点から、ペールの心理ゲーム・禁止令・ドライバーの構造を整理していきたいと思います。


心理ゲームとは?

 心理ゲームとは、表面的には普通のやりとりに見えても、その裏には否定的な感情と

再確認される脚本信念が潜んでいるやりとりのことです。

 エリック・バーンは、人は無意識に「脚本を証明する」ためにゲームを仕掛けると

考えました。このゲームは『不快な感情をもたらすコミュニケーション』なのです。


 

ペールが繰り返すゲーム:「見捨てられた僕」


心理ゲームのパターン

  ① 愛を求めて他者(母、恋人、ソルヴェイグ)に近づく

       

    (ペールが仕掛け人として、弱みのある相手にゲームを仕掛ける)


  ② でも親密さが深まると「本当の自分」がバレる気がして怖くなる


    (相手の反応を試すために不快なコミュニケーションを行う)

    

  ③ 結果、自ら関係を壊す or 逃げる


    (相手は困惑し、混乱する)


  ④ 「やっぱり誰も僕を本当には愛してくれない」と思い込む

   

     (お互いが嫌な感情や悲しみを感じる結果に仕向ける)


  このゲームの最終メッセージ(Payoff)=人生脚本の強化(再確認)


  ほら…やっぱり… 「僕は結局、見捨てられる存在なんだ」


  このように、ペールは自分のスクリプトを“再確認”するためのゲームを

  他者に対して、無意識に仕掛けていたのです。


  何のために、そんなことをするのか… ゲームの目的は、過去のトラウマや思い込み

  価値観などによって、マイナスのストロークを手に入れるためといわれています。

  このゲームは何度も、何度も繰り返されます。


  ストロークは「心の栄養」といわれる他者との交流中で相手の存在を認める言動や

  態度、表情などを通じて、「自分自身が承認されることで得られる自己肯定感」です。

  人は誰もはOKであり、このストロークを得たいと願って生きています。しかし

  このポジティブなストロークには、マイナス(影)のストロークが存在します。

  ポジティブ(陽)のストロークは、ハグしあったり、笑顔で挨拶を交わしたりする

  お互いの承認行動ですが、マイナス(影)のストロークは暴力や皮肉、無視や暴言など

  お互いが傷つけあう「破壊行動(人権侵害)」なのですが、ポジティブなストロークが

  欲しいはずなのに、得られないときに私たちはマイナスのストロークでもよいので

  得ようとします。これをストローク飢餓と呼びます。


  仕掛ける→相手が離れていく→孤立する→(マイナスのストロークを味わう)→

  また他の人にゲームをしかける→ また相手が離れていく→ また孤立する


  なにが、そうさせるのでしょうか?

 

ペールに影響を与えた「禁止令(Injunction)」


禁止令とは、幼少期に非言語的に受け取った「~するな」「~であるな」という否定的なメッセージのことです。ペールに見られる主な禁止令は以下の通りです

禁止令

内容

行動への影響

自分でいるな

ありのままの自分では愛されない

空想・妄想で自分を脚色

親しくなるな

親密になると傷つく

関係が深まると逃げる

成功するな

成功すると罰がある

自ら成功を壊す

感じるな

感情は危険なもの

喜びも悲しみも遮断

これらの禁止令が、ペールの「逃避と崩壊のパターン」を形成していたのです。

この禁止令を私たちも無意識で活用し、お互いを傷つけてしまいます。

禁止令によって形成された「埋め合わせの努力」が、ドライバーといわれるものです。ペールに特に強く見られるドライバー(駆り立てられるもの)は以下の3つです。

ドライバー

行動への表れ

特別であれ

英雄・預言者・王になろうとする妄想

急げ

関係を築く前に次に行ってしまう

努力しろ

何かをし続けていないと落ち着かない(放浪・挑戦)

これらのドライバーは、一見「頑張り」のように見えますが、実際は「認められたい」

「愛されたい」という承認飢餓の裏返しなのです。


ゲーム・禁止令・ドライバーの三位一体構造


① 幼少期に禁止令が内面化される(例:「自分でいるな」)


② それを打ち消すためにドライバーが働く(例:「特別であれ」)


③ しかし根本の信念は変わらず、繰り返し心理ゲームに陥る(例:「見捨てられた僕」)


このループの中で、ペールは人生を迷走していたと言えるでしょう。


ソルヴェイグとの再会がもたらした「再決定」


 前回までに触れた通り、ラストでペールはソルヴェイグの腕の中に帰還します。

このとき、もし彼が次のような認知に達していたなら──


「自分でいても、愛されていい」


「親しくなっても、捨てられない」


「特別でなくても、価値がある」


それは、まさに交流分析における「再決定(Re-decision)」であり、人生脚本の描きなおし

なのだと思います。


ソルヴェイグとの再会は、ペール自身が、自らを許し、受け入れることで

長年の人生脚本・心理ゲーム・禁止令の連鎖を断ち切る「癒し」の瞬間だった可能性が

私はこの物語から感じるのです。


ペールは、自らの「無意識の脚本」によって苦しみ続けた人物でした。

でも、彼を変えたのは壮大な冒険でも成功でもなく、たったひとつの“無条件の愛”でした。


「ゲームを終わらせる」「脚本を書き換える」──

それは、現代の私たちにとってもとてもリアルなテーマです。


エリック・バーン
エリック・バーン


コメント

5つ星のうち0と評価されています。
まだ評価がありません

評価を追加
bottom of page