心理学的視点で考える ペール・ギュントを支えた愛 ②
- 横山三樹生
- 4月3日
- 読了時間: 4分
〜魂の救済と、自己統合の物語〜
今もなお多くの人に深い感動を与え続けている「ソルヴェイグの歌」は
何を語っているのだろうか?
『ペール・ギュント』に登場する「ソルヴェイグの歌」は、ペール・ギュント
という自己中心的で、欲望に突き動かされた男が、人生の果てに唯一帰ること
ができた場所…それが、ソルヴェイグという「変わらない愛」だったと解釈
されることが多い。
また、この物語と音楽の構造は、しばしば救済や信仰の物語としても読み解かれます。
しかし今回は、そこに込められた心理学的な意味と象徴はなんだろう?
ペールとソルヴェイグの最後はどうなるのか?
ペールは、人生の終わりにソルヴェイグの腕の中で赦され、静かに抱かれて幕を閉じます。
この場面は、和解・救済・そして象徴的な死(=母なる懐への帰還)とも解釈されます。
若き日のペールは野心と妄想に駆られ、現実を逃避しながら各地を放浪します。
ソルヴェイグと出会うも、彼女の純粋な愛に耐えられず逃げだす。
長年の放浪の果てに、自らの空虚と老いに直面し、「自分とは何か?」を問う。
最後、彼はソルヴェイグのもとへ帰り着く。
ソルヴェイグは、何一つ責めることなく、彼を受け入れ、抱きしめる。
ラストシーンの象徴性
ペール:「僕は誰だった? 僕の人生は何だったんだ?」
ソルヴェイグ:「あなたは私の信じた人。私の愛した人。」
このやり取りは、ペールの魂の救済であり、人生を通して「自分」を見失い続けた彼が、
唯一たどり着けた“真実”なのだろうか? なんとも都合の良い男だ
この結末の解釈:2つの側面
① 救済と愛の勝利(ポジティブな解釈でいえば…)
最後に愛に立ち返ることができれば、人生は救われる。
ソルヴェイグの「無条件の愛」は、ペールという存在を人間として受け入れた。
② 赦しによる逃避(皮肉的な解釈でいえば…)
ペールは一貫して「責任」から逃げ続けた。
ソルヴェイグの愛に甘えることで、現実から逃避しただけでは?。ともいえる。
心理学から読み解く3つの視点
ユング心理学では『ソルヴェイグは「アニマ(Anima)」の象徴』ともいえる。
アニマとは、男性の無意識にある女性的側面。
ソルヴェイグは、ペールの妄想と逃避の果てに現れる「自己の統合」への導き手。
ソルヴェイグは、外にいる他者ではなく、ペールが無意識のうちに求め続けていた
「本当の自分」。彼女の愛は、「自己受容」や「内なる統合」の象徴を意味する。
フロイト的視点では、『イドと超自我のせめぎ合い』とも解釈できる。
ペールは「快楽原則」に従って生き、エス(イド)のまま大人になった人物。
一方ソルヴェイグは「理想の良心=超自我」として存在していた。
人生を欲望で満たそうとしたペールは、最終的に「理想と良心」と和解し、はじめて
“倫理的な自分”として自己統合を果たすことになり終幕する。
エリクソンの発達理論の解釈では『老年期の「統合 vs 絶望」の物語』
老年期の課題は「人生の意味を見いだせるかどうか」。
ペールは絶望しかけますが、ソルヴェイグの一言で「統合」に至ります。
ペールは、「何者でもなかった自分」でも誰かに愛されたという事実によって、
自己肯定を取り戻します。これは、心理的な成熟の最終段階にあたります。
フロイトは、超自我による「倫理的な和解」ユングはアニマによる「自己統合」
エリクソンは「意味の統合による絶望からの回復」をそれぞれ意味している。
この戯曲は、「愛される価値があるか?」という問いに揺れる人間が、「それでも、愛されていた」ことを知って救われるという物語。
ソルヴェイグの腕の中でペールが静かに眠る
それは、彼にとって「人生の答え」をようやく見つけた瞬間の意味とはなんだろう?
次回は、次回はさらに深く掘り下げて、「影(シャドウ)」との対決と、ソルヴェイグを母性(グレートマザー)として読み解く視点で考えてみよう。

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