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気候危機を「他人事」にしてしまう人類の心理と、無関心への警鐘

 「今年の夏は異常だったね」 そんな言葉を、ここ数年で何度交わしたでしょうか。私たちはすでに、"かつての非常事態"を"日常"として生きているのかもしれません。 2025年3月26日、気象庁と文部科学省が公表した気候シナリオは、それを裏付けるものでした。


 脱炭素対策が不十分なまま進めば、21世紀末には地球の平均気温が工業化前に比べて

約4度上昇。そうなったとき、"100年に1度"の猛暑や豪雨が、毎年、あるいは数年ごとにやってくることは、もはや揺るぎようのない事実です。


 それでもなお、多くの人が「自分には関係ない」と感じているのはなぜなのでしょうか?


 

気象庁と文科省が示した未来とは


 2025年3月、気象庁と文部科学省は、国際的な気候モデルに基づき、脱炭素対策が不十分な場合の気候変動の影響を公表しました。その中でも特に注目すべきは、「極端な高温」と「極端な豪雨」の頻度が激増するという点です。


  • 工業化前は100年に1度だった猛暑が、21世紀末にはほぼ毎年発生

  • 同じく100年に1度の豪雨も、20年に1度のペースに


これは、これまでの常識や防災インフラでは到底対応できない未来を意味します。


"100年に1度"が日常化するインパクト


 "100年に1度"とは、統計的にはほとんど起こらない、極めてまれな出来事を指します。

それが毎年のように起きる世界は、もはや異常気象は「例外」ではなく「前提」です。


  • 子どもの運動会や通勤通学の安全が脅かされる

  • 建物やインフラの設計基準が通用しなくなる

  • 保険会社や農業、観光業などへの甚大な経済的打撃


 私たちは、ライフスタイルや仕事、価値観そのものを見直す必要に迫られるでしょう。


気象庁「世界の年平均気温の経年変化」
気象庁「世界の年平均気温の経年変化」

 

気候危機が「他人事」に見える5つの心理要因


 なぜ私たちは、これほど深刻な気候変動のリスクを、どこか現実感のない「遠い話」と

して受け止めてしまうのでしょうか? その背景には、人間の脳や社会の構造に根ざした

心理的要因が潜んでいます。


(1)遠隔性バイアス:遠く・先のことに鈍感な脳


 人間は、目の前の危機には反応しますが、抽象的で未来の話には鈍感です。

「2100年に4度上昇」という情報も、日常生活の中では実感しづらく、

 行動動機になりにくいのです。


(2)正常性バイアス:自分だけは大丈夫だという思い込み

 これまで大丈夫だったから今回も大丈夫、という思考は、危機を軽視する

 原因になります。「これくらいなら毎年あるし」と思い込んでしまう心理です。


(3)責任の拡散:誰かがやるだろう、という無力感

 気候変動はスケールが大きいため、「自分ひとりの行動では変わらない」と感じやすく、 

 結果的に行動を起こしにくくなります。


(4)気候アパシー:情報過多による感情の麻痺

 繰り返し報道される気候ニュースに慣れてしまい、怖さよりも「もう何も感じない」

 という感情麻痺が生じることもあります。


(5)集団規範:周囲の無関心が自分の基準になる

 周囲に危機感がなければ、「自分だけが騒いでも…」と感じてしまいがち。社会的な

 空気が行動を左右しているのです。


 

無関心が未来を壊す──静かな崩壊の中で


 気候危機の本当の怖さは、「今すぐ壊れる」ことではなく、「気づかないまま壊れていく」ことにあります。少しずつ暑くなる夏、増える台風や豪雨、それに慣れてしまう私たちの

感覚こそが、危機そのものなのです。


「誰も騒いでいないから大丈夫」 「気にはなるけど、毎日忙しくて…」


──そうやって、“静かな崩壊”は進んでいきます。


 100年に1度の猛暑が毎年起こるという未来は、誰かが壊した未来ではありません。

私たち一人ひとりの“何もしなかった日々”の積み重ねでできあがる未来なのです。



一人ひとりの選択が未来を変える


気候危機に対して行動することは、無力な抵抗ではありません。むしろ、私たちには

変化を生む力があります。


 異常気象は、未来の話ではなく、すでに私たちの生活に影を落としています。けれど、

絶望する必要はありません。気づいた今が、変えるチャンスです。


「知らなかった」では済まされない時代に、私たちはいま、いるのです。

 

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