考えすぎが人生を苦しめる ~レッテルを貼る心の罠~
- 横山三樹生
- 3月28日
- 読了時間: 3分
「なんでこんなに生きづらいんだろう」
ふと、そんな思いが心をよぎる瞬間はありませんか?挑戦することが怖い、
他人の目が気になる、自分の未来に確信が持てない……。
もしかすると、その苦しさの正体は、あなた自身が無意識に貼っている
“レッテル”にあるかもしれません。
「思考によるレッテル貼り」がいかに私たちの行動を縛り、心を痛めつけているのかを
考えてみましょう。読み終えたとき、あなたの人生が少し軽くなるかもしれません。
思考はラベリングマシンであり、"意味づけ"が苦しみを生む
私たちの思考には、あらゆる出来事や状態に対して "意味づけ" を行う性質があります。
これは脳の自然な働きであり、物事を素早く判断するための効率的な仕組みです。
しかし、その "意味づけ=レッテル" が、私たちの可能性を奪い、苦しみの原因になることがあるのです。
たとえば——
ケース1:Tさんのカフェ開業の迷い
「こんな年齢で独立なんて、無謀じゃない?」
40代で会社を辞め、念願だったカフェを始めたいと思っているTさん。でも頭の中では「今さら挑戦=恥」「家族を巻き込む=無責任」といった思考がぐるぐるまわり、
一歩が踏み出せません。
ケース2:Oさんの転職への不安
「中途で未経験職に飛び込むのは、ただの逃げじゃないか?」
営業職として10年働いてきたが、ずっとクリエイティブ職に憧れてきたOさん。
しかし「未経験=戦力外」「今のキャリアを捨てる=もったいない」といった思考が、
「本当はやりたい」気持ちを押し込めてしまっています。
ケース3:Mさんのシングルライフ
「結婚してない私は“普通じゃない”?」
仕事も趣味も充実しているけれど、結婚していないことで親戚や世間の目を気にしてしまうMさん。「独身=欠けた人間」「幸せ=家庭を持つこと」といったレッテルが、静かな自己否定を生み続けています。

思考は敵にもなる "自分らしさ"を奪うメカニズム
思考は本来、私たちが現実を整理し、判断するための“道具”です。しかし、その道具に
私たち自身が支配されてしまうと、人生は途端に不自由になります。ラベリングの癖は、
過去の記憶や社会的な刷り込みによって無意識に形成され、今この瞬間を見失わせます。
「今、本当に困っているのか?」「今、この瞬間、痛みはあるのか?」
多くの不安や苦悩は、“未来の心配”や“過去の後悔”という"存在しない時間"に根ざしています。実際、私たちがレッテルを貼るのは、まだ起きてもいない出来事に対してなのです。
レッテルを手放すには? 無心で"今"を生きる大切さ。
では、どうすればこの苦しみから解放されるのでしょうか?
答えはシンプルです。「思考を自分だと思わず、ただ眺める」 こと。
思考を“私”と同一化せず、あたかも他人のつぶやきのように観察する。悩んでいる自分を、もう一人の自分が「お、またやってるな」と冷静に眺める。これが第一歩です。
もうひとつ大切なのは、“今”に意識を戻すこと。
今この瞬間に、悩みは本当に存在しているのか?過去でも未来でもなく、「いま、ここ」に集中することで、思考が生み出すラベルの影響力は劇的に弱まります。 思考に、人生を奪わせない
"考える"ことは、人間の特権であり、美徳でもあります。
けれど、考えすぎて動けない、考えすぎて苦しい、そんな状態が続いているなら
それは、あなたが「思考に使われている」サインかもしれません。
レッテルに縛られることなく、あなたがあなたらしく生きるために。まずは、
その思考を“そっと、横から見つめてみる”ことから始めてみませんか?
私もかつて、「失敗=終わり」と信じ込んで、挑戦を避けていた一人でした。けれど、
思考から一歩距離を取ったとき、人生はようやく、自分の手の中に戻ってきました。
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