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心理学的視点で考える ペール・ギュントを支えた愛③

「影(シャドウ)」との対峙と、母なるソルヴェイグ


光と影が交差する物語

 ペール・ギュントという男は、空想に生き、責任を回避し、他者との絆から逃げ続けて

きました。それはまさに、「自分の“影”と向き合わずに生きてきた人生」だったとも言えます。ユング心理学では、人の内面には「光(意識)」と「影(無意識)」が存在し、影(シャドウ)との統合こそが、本当の自己(セルフ)への道だとされています。


第3回では、『ペール・ギュント』という物語の中に流れる「影との対峙」と「母性の象徴性」に焦点を当てて考えてみたいと思います。


ペールと「影(シャドウ)」の物語


シャドウとは?

 

ユングによれば、「シャドウ」とは人の無意識に抑圧された、

認めたくない自分自身の側面です。

欲望、臆病さ、弱さ、自己中心性、嘘、恐れ…


社会的には否定されるが、人間には本来備わっている“影の自己”


ペールの旅とは、シャドウとの逃避行

 ペールは若い頃から、自分の欲望や野心、臆病さに振り回され続けます。

しかし、それを受け入れることなく、外界へと逃げ出す男、それがペールです。


※ 他者を捨て、国を捨て、信頼を捨てる

※ 何者かになろうとし、結局、何者にもなれない


これは、まさに「影から逃げ続けた人生」の縮図です。


終盤の象徴…ボタン職人との対話


物語の終盤、ペールは「ボタン職人」と出会います。

この人物は、「魂の鋳型を持たない者 お前は天国には行けないし、かといって地獄に行くほどの悪党にもなりきれなかった、お前はお前自身であることなど一度もなかったのだから、その他大勢といっしょに溶かされてボタンになるがよい」と断ずる。


鋳型とは、自己の本質。それを持たないペールは、「本当の自分になれなかった」者として裁かれようとしているのです。


これはユング的に言えば「影と統合しなかった者への最終審判」のようなものです。


ソルヴェイグとは、「母なる存在(グレートマザー)」


 ユングが定義する元型の中で、グレートマザー(偉大なる母性)は特に重要です。


グレートマザーとは、「無条件の愛と包容」を意味するのかもしれません。


しかし同時に、破壊や融合の側面(死・無意識・夜)も持つ存在です。


ソルヴェイグは、まさにこの母性の元型を体現したグレートマザーといえます。


ペールを裁かず、抱擁し、赦す。彼の全てを受け入れ、再び包み込む


そして、彼を“無”ではなく、“母性の懐”へと還す。


これって…なんとなく『新世紀エヴァンゲリオン』の要素を、私は感じてしまいます。(笑)


 ペールは「母なる象徴」であるソルヴェイグの腕の中で、自己の影をも抱いたまま、統合されていく。それは、魂の再誕、あるいは象徴的な死と再生の瞬間でもあります。


「統合された死」=“ほんとうの自己”への目覚め

 ペールは「英雄」や「王」や「成功者」になることを夢見て旅に出ました。

でも、最後に帰ったのは、誰かの腕の中で赦されること。

外の世界ではなく、「内なる自己」の世界に帰還したのです。


ここで彼は初めて、「自分のすべて(影も含めて)を誰かに受け入れてもらえた」

つまり、自己統合の完了がなされたとも解釈できます。


これって、ある意味「人類補完計画」のひな型なんじゃないかとも思えてきます。


ペールが自己の影を直視できず、ひたすら旅を続ける姿は、シンジが「他人と関わるのが怖い」と言いながらエヴァに乗ることを拒絶する姿に似ています。


「傷つくくらいなら、最初から関わらない方がいい」

これは、ATフィールド(=心の壁)を最大限に展開し続ける生き方です。


でもそれは同時に、自己の“影”すら閉じ込めてしまう行為でもありました。


ペール・ギュントの物語は、ユング心理学における 個性化のプロセス(自己実現)を象徴していました。


ペールが最終的に「赦されること」で救われたように、

シンジも「他者に肯定されること」で、“自分”を見つけられた。


それは決して「成長」とか「勝利」といったわかりやすいゴールではなく、

「他者とともに生きることを、もう一度選ぶ」という、しずかで力強い決断だったのです。


少し、脱線してしまいました(笑)


次回は、交流分析(TA)の視点から、ペール・ギュントが持っていた人生脚本について

掘り下げようと思います。



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